伝統ある民芸品を造り続ける職人が他界してしまうと、心にぽっかりと穴が開いたように感じます。ポルトガル南部レドンドの陶芸家Joao Mertolaが、コロナ禍中に亡くなったと知り再びレドンドを訪れました。
長年スペインやポルトガルの陶芸家を巡る旅をしていると、作品に人柄が反映されている職人を特によく憶えているものです。メルトラの工房へは5回くらい足を運び器を購入しましたが、メルトラより先に知り合ったAdriano Marteloアドリアノ・マルテロの器が忘れらなくて、同じ町の工房を探したところ巡り合ったのがメルトラでした。マルテロには残念ながら1度しか会うことが出来なかったのですが、この地のナイーブな絵柄の器は今でも一番気に入っています。
こちらがメルトラの工房。中世の城壁の内側にひっそりとある建物で、この地域のコバルトブルー色の壁が目立ち、青空と同化してしまうようなところでした。今でも建物はそのままで、メルトラの手書きの表札が残っています。文字にも彼の人柄が出ているので、ドアを叩けば彼が出てきそうなムードは一切変わっていませんでした。
メルトラの父は陶芸品を売り歩く商人だったそうで、子供の頃から陶器と密接な関係があり、当然のように陶芸の世界に入ったそうです。年齢と共に確かなタッチの線が描けなり様々な苦労があったのだと思いますが、コメディアンのように明るい性格の彼は、このレドンドの町独特のナイーブな絵柄を年齢なりに表現していました。なんとも言えない味わいのあるモチーフで、大好きな鳥がシンボルマークでした。署名は観光客が来るようになってから入れるようになったと言っていました。
あまりに高齢だったので特注品依頼はしたことがないのですが、いつも膨大な数の器が展示してありました。毎日工房に通って働いていたこと間違いありません。大皿から小皿までかなりの数の器が手元にあるのですが、小さいものは使わずに保存しようかと思いますが、使わないとメルトラが悲しがるような気もしています。
この日滅多に雨の降らないこの地域でも雨が降り、まるでメルトラを忍んでいるようでした。日本でポルトガルの陶器はほぼ無名同然ですが、メルトラはポルトガルでは有名な陶芸の町のひとつで、少なくとも16世紀から陶芸が盛んでした。私が初めて訪れたのはもう30年くらい前ですが、工房の数は半分以下に減りました。今でも陶芸を続ける人がどのくらい貴重か想像していただけると思いますが、お陰で陶芸博物館も完成し、有形文化財としての価値は上がってきています。
髭のおじさんが近年ここでお付き合いをしている陶芸家はMestre Xicoメストレ・チコ。彼も素晴らしい才能の持ち主でレドンドの伝統を守りながら、独自のスタイルを確立しています。チコはメルトラの絵柄もレプリカを作って残しており、彼が居る内はメルトラも消えないといいます。こんな人々が伝統工芸を守っているのです。伝統と呼ばれるものは長い年月で育まれますが、こんな人間関係の温かさが器にも表れており、使う人の心を温かくしてくれていると思います。
新たなプロジェクトのために再びこの地を訪れたのですが、行ってみて改めて民芸品の背後にある奥深さを感じました。工芸博物館でもメルトラの話となり、『日本でメルトラを紹介してくれてありがとうございます』と感謝の言葉を学芸員からいただきました。パワジオ倶楽部のショップでメルトラの器を購入してくださった皆様、もうメルトラは入荷できませんので、お手持ちの器はどうぞ大事にお使いください。ポルトガル南部アレンテジョ地方の魂が込められています。
これからもこの町の陶芸品はご紹介していきますので、皆様この美しい伝統が存続できるよう応援してください。
因みにキッチンで使っていたメルトラの器。これらは早速棚に並べてしまい込みました。大切な思い出の品になりました。
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