漫画『アルカサル』の舞台トルデシーヤス中世の宮殿

Castilla カスティーリャ
スペイン中世の歴史を知りその虜になる最強の手段は、漫画【アルカサル】(著者青池保子)を読むことだと思っています。アラビア人との800年近くに及ぶ戦乱レコンキスタの歴史は、【アルカサル】のような漫画がないと日本人には複雑すぎる部分があり、敬遠してしまう分野だと思います。
チャンスがあるとスペイン人にも日本人にもこの作品の素晴らしさは伝えていますが、本当はもっとスペインでこの作品のことを知ってもらいたいと思っています。この国はあまりにもすごい歴史を持っているので、ご当地では歴史に疎く、開いた口が塞がらないほど歴史上の事実を知らない人が多いのです。我が家の近所はこの【アルカサル】の主人公であるスペイン王ドン・ペドロゆかりの地が多々あるので、機会さえあればその地を訪れて調査をしています。
先日、数年ぶりにトルデシーヤスのサンタ・クララ修道院を訪れました。ここは今でもスペイン王室が所有権を保持しており王家遺産として管理されています。尼さんが住んでいるので教会の管轄だと誤解しやすいのですが、これはドン・ペドロが娘に修道院を創設するように許可した14世紀から条件は変わらず、使用許可だけで所有権は王家のものなのだそうです。すごいなぁと感心しました。写真は当初宮殿であった時からある入口の様子。このデザインがセビリアのアルカサルのモデルにもなっているそうです。この美しさはいつ見ても感動します。アンダルシアではないマドリードから200キロも北に上昇したドゥエロ川の岸辺に、こんなアラビックスタイルの宮殿があるなんて、スペインの歴史的豊かさのシンボル的建造物です。
こういうスペインのキリスト教徒の間で花開いたアラビアンスタイルのことをムデハル様式といいますが、この宮殿はその中でも最も美しいもののひとつ。14世紀の状態で残っている部分が多々あることも驚きです。
内部は撮影禁止の部分が多いのですが、ミニチュアアルハンブラのような美しいパティオも残っています。ドン・ペドロの時代はもっと数多くのパティオやサロンがあったはずですが、なにしろ修道院になってしまったので、アラビアンスタイルの優雅さはわずかしか残っていません。運よく漆喰で塗られてしまった部分がたくさんあり、最近の修復では宮殿だった頃の豪華なデコレーションがいくつも発見されているので、何年か毎に訪問すると新しい掘り出し物に巡り合えます。
内部ではカルロス5世がトルデシーヤスに幽閉されていた母ホワナを訪れた時の展覧会が開催されており、ドン・ペドロからカルロス5世へテーマがズレてしまったのですが、ひとつ興味深い事を知りました。ホワナがベルギーに嫁ぎ、現地でオーダーメイドで作らせたタペストリーの数々は現在王室コレクションの中に属していますが、その中の数点が今回展示され由来を説明してもらえました。
ホワナは息子カルロスの訪問時、彼の部屋にお気に入りのタペストリー2枚を飾ったそうです。それをカルロスは大そう気に入ったそうで、結局タペストリーはカルロスに贈られます。私はここできっとタペストリーの価値が目当てでカルロスが手に入れたと思ったのですが、実はそうではなく、このタペストリー2枚はカルロスは隠居生活を送ったユステにある修道院の部屋に飾ったのだそうです。母ホアナに対してカルロスが愛情を表したエピソードを聞いたことがなかったので、この話にはジ~ンと来てしまいました。
タペストリーの1枚。金糸と銀糸、シルクを使った傑作。写真はEl hilo de Ariadnaより。Foto es del blog “El hilo de Ariadna”.
でも、これはガイドさんの説明で帰宅してから調べてみると、カルロスが初めてトルデシーヤスで母を訪問した際、すでにタペストリーで飾られた美しい部屋の記録は残っており、初訪問でこのタペストリーがカルロスの手に渡ることはなかったそうです。ホワナと暮らした末娘がポルトガルに嫁ぐ際、幾つかのタペストリーはポルトガルへ渡り、残り数枚がカルロスのものになり、彼はそれを妻イサベルに贈り、彼女の死と共に再びカルロスの手に戻ったそうです。記事には【取り戻した】というニュアンスで書かれていたので、ひと悶着あったのでしょう。その後、カルロスの死でこれらのタペストリーは競売に掛けられてしまうのですが、フェリペ2世が落札したという記録があり、おかげで王家のコレクションとして今でも残っているそうです。
きっともっと調べたらこの時期のスペイン王室メンバーのタペストリーへのこだわりや愛着は、もっと深く知ることが出来るでしょう。
つづく

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