ポルトガル初代王アルフォンソ1世

Art

モンデゴ川の岸辺に位置する美しいコインブラの町で、ポルトガル初代王アルフォンソ1世の霊廟へ。

アルフォンソ1世は日本の平安末期から鎌倉初期に生きた人物で、母親はテレサというスペイン人女性。テレサの父はあの有名なエル・シドの王であった『勇敢王』と呼ばれるアルフォンソ6世(当時スペインはいくつかの王国があり、正確にはレオン王国のアルフォンソ6世であり、カスティーリャ王としてはアルフォンソ1世となります)。

チャールトン・ヘストンの映画をご覧になった方は、この王の印象が悪いかもしれませんが、非常に優れた王で数多くのエピソードが残っていましす。そんな偉大なスペイン王の孫にあたるのがポルトガル初代王アルフォンソ1世になります。余談ですがアマゾンTVで新たにエル・シドのストーリーがシリーズ化されたので、日本でも皆さんみるチャンスがあると思います。

この映画を見てからスペインを旅したり、歴代王のストーリーもひも解いていくと分かりやすいと思うので、スペイン中世史を知るためには最適の一歩となり多くの歴史好きの方はのハマると思います。

サンタ・クルス修道院はマヌエル様式というポルトガルで最も豪華なルネッサンス建築スタイルで、写真がメインのチャペル。ポルトガルらしいブルー&ホワイトのタイルで壁は御覆われています。タイルはバロック期のものですが、ポルトガルの偉大な建造物には欠かせませんし、マヌエル様式にピッタリ合っています。パイプオルガンも一度は聴いてみたい名人が造ったこと間違いない佇まいでした。

洗礼盤のある一角も美しいとしか言いようがありません。

この豪華な石棺がポルトガル初代王アルフォンソ1世のもので、華やかなマヌエル様式(ポルトガルルネッサンス)。保存状態が良いことに驚かされました。彫刻に施された色彩の痕跡もところどころにはっきりとあり、15世紀後半の人々の色に対する感性も体感できます。

恐らく湿気が原因で発生したカビやコケなどは修復の際に、キレイにクリーニングされているために、彫刻がキレイになり過ぎている部分もあるのですが見事な保存状態です。王の合掌する手は語り掛けてくるものがあります。300年の時差があるにしても、ルネッサンス期のポルトガル人は初代王をスラっとした長身の品のある王と想像していたようです。

回廊も美しいマヌエル様式。豊かな水脈がある町であることが、この中庭からもよく分かります。

今日は長くなってしまうのですが、このポルトガル王と祖父にあたるカスティーリャ・イ・レオン王国アルフォンソ6世の事もお伝えしたいと思います。ポルトガルとスペインの絆の深さが感じられます。

写真はウィキペディアより

こちらがポルトガル初代王の祖父アルフォンソ6世。彼は初回の結婚では子供がなく、妻の死後愛人であったヒメナとの間に生まれたテレサにポルトカーレと呼ばれるポートやブラガ周辺の伯爵領を与えます。5回も結婚したと言われている王の子供たちは結局領土を奪い合うような戦いを繰り返すことになり、ポルトガル北部も独立していくことになります。

アルフォンソ6世も少年時代この領土争いで、一度は聖職者になるようサグンの修道院に幽閉されます。その時の修道士たちとの経験が後世まで王にとってはかけがえのない体験だったそうで、歴代王達が埋葬される場ではなく、このサグンの修道院にアルフォンソ6世は埋葬されています。

これがサグンの町、修道院の門になりますが、後々までここに王が埋葬されていることを誇りに思っていた修道士達によって棺は大切に守られていました。しかし、1810年火災によって修道院は破壊され棺も被害にあいます。焼け残った遺骨は修道士達によって収集され、1835年の永代所有財産の解放令によって修道院が解体されてからは、数人の修道士の親族によって保管されたそうです。ようやく1902年に現在の尼僧院に落ち着きます。5回結婚したというだけあり数人の妻と共に埋葬されていますが、棺は新しいものです。

死後も波瀾万丈な歩みを続いているアルフォンソ6世。歴史的にはポルトガル初代王よりもずっと偉大な存在ですが、こんな質素な状態で埋葬されています。きっと深い信仰心を持つ王だったことが、後々までこんなに大切に遺骨が守られてきたことに表れていると思います。

去年の夏、サグンを訪問した時にやっとこの棺も拝むことが出来ました。

アルフォンソ6世はトレドをイスラム教徒から奪還した王としても有名です。トレドを訪れたら必ずアルフォンソ6世のことを思い出してみてください。

この王の孫が初代ポルトガルの王になったことも知っていると感慨深いものがあります。

 

 

左の写真はウィキペデイアより。

コメント

タイトルとURLをコピーしました