スペインは巨大帝国であったために黒い伝説、今ならばフェイクニュースと呼ばれるプロパガンダに史実が覆われ、真実が本当に伝わっていない国だと長年住んでいると強く思います。今日お伝えしたいじゃがいもがどんな風にスペインに伝わりヨーロッパ中に広がったのかという歴史のエピソードもある素晴らしい人物ペドロ・シエサ・デ・レオンPedro Ciez de Leon調べていて発見しました。
彼は13歳で南米に渡った探検家、コンキスタドール(征服者)。16世紀スペイン人が実施した様々な探検から戦いを報道記者のように記録しており、特にペルーについて膨大な記録を残した記録作家としての彼の歩みには感動させられます。35歳で他界するまでに彼が残した数々の書記は、当時【クロ二カ・デ・ペルー】(ペルー年代記)として第1巻だけ出版され、残り3巻は19世紀まで日の目をみません。今では『スペインの記録作家のプリンス」と称えられるほど偉大な人物になっています。彼の記述は南米史を知る上で欠かす事の出来ない文献ですし、黒い伝説ではスペイン人探検家は皆野蛮人のように扱われていますが、このような人物も多く当時スペインの教育レベルの高さも明らかにしています。13歳で南米に渡る前に相当レベルの教育を受けていなければ、このような民俗学や人類学的な視点は持っていられなかった事でしょう。
写真は彼の生地Llerenaに残る銅像。
こちらがセビリャで出版された初版の【ペルー年代記】
南米に渡った人々はセビリヤの通商院Casa de la Contratacion de las Indiasという政府機関で記録されており、シエサが渡航した日1535年6月3日も明確に記されています。移民問題が最近話題ですが、16世紀にここまで制御されていた事に驚かされます。この機関は南米との貿易を王権統制下でコントロールするもので、南米との貿易や行政資料は今でもセビリヤやカディスに管理されています。その膨大なデータの量は研究が進んではいても全体像を知るには長い時間が必要だと思います。今後も大きな発見がこの資料の中にはあるでしょう。
シエサ・デ・レオンは軍人として南米探検をする間、他の人は眠っている時間に見聞きした事を書き残していたそうです。(銅像はその姿を表しています)様々な遠征の後、1548年ペルー現在のリマ(当時は【王家の町】と呼ばれていたそうです)で作家として活動するよう認められ、アンデスの人々の習慣、伝統、地理、王家の歴史などを本格的に記しています。
1551年にスペイン帰国。フェリペ2世に手書きの本を提出したそうです。セビリャで結婚、1553年に初版を出版、皮肉にも病で34歳の若さで他界。南米の過酷な環境を生き抜いてきたにも関わらず、こんなに若くして死んでしまったことは本当に残念です。これで第1巻以外は未発行で19世紀まで埋もれてしまいます。
写真は美しいシエサの故郷Llerena
シエサのもうひとつの貢献は、ヨーロッパに最初にじゃがいもとトウモロコシを輸入したところにもあります。キャラック船(スペイン語ではナオ)に10トン以上のじゃがいもを塩の上に載せ、動物のリャマ2頭と共に積み込んだそうです。
ところがセビリャの通商院では、この2つの食物は無益なものという評価を受けず商業目的での活用は許されず、シエサは仕方なく数十キロを故郷に持ち帰り畑に植えたそうです。これが残り現在のジャガイモに至っています。
今では食卓に欠かせないじゃがいもですが、こんな経路を辿ってスペインからヨーロッパ各地に広がっていきました。民間に浸透するまでには長い道のりがありましたが、19世紀にアイルランドで民衆を飢餓から救ったことは実に有名です。
下の写真はイェレーナの町にある博物館。美しいムデハル様式の建造物ですがシエサの家も良く似たスタイルの建物で、現在はプチホテルになって泊まることも可能です。ペルーの歴史をシエサの書籍で知った人なら、きっと思い出に残る滞在が出来ると思います。Casa Rural Cieza de Leonで検索してみてください。下にリンクを貼っておきます。
南米で偉業をなしたスペイン人の事を少しづつお伝えしたいと、最近強く感じています。
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